2021-04-12 第204回国会 参議院 決算委員会 第3号
沖縄県南部の糸満市の土砂も使う予定だと報じられていますが、糸満市は歩兵第三十二連隊終焉の地という石碑が建つ場所です。昭和二十年の沖縄戦において、山形県や北海道、沖縄の方から成る歩兵第三二連隊、山形城址、山形の城跡、霞ケ城と呼ばれていましたので霞城公園と呼ばれていますが、ここに本隊があったということで、山形にもゆかりの深い連隊です。 激しい地上戦を繰り広げて、多くの方がお亡くなりになりました。
沖縄県南部の糸満市の土砂も使う予定だと報じられていますが、糸満市は歩兵第三十二連隊終焉の地という石碑が建つ場所です。昭和二十年の沖縄戦において、山形県や北海道、沖縄の方から成る歩兵第三二連隊、山形城址、山形の城跡、霞ケ城と呼ばれていましたので霞城公園と呼ばれていますが、ここに本隊があったということで、山形にもゆかりの深い連隊です。 激しい地上戦を繰り広げて、多くの方がお亡くなりになりました。
自然公園法違反、森林法違反、農地法違反、糸満市風景づくり条例違反、鉱業法違反、たくさんあります。遺骨をこんな形でじゅうりんしないでください。だから、これは本当によろしくお願いします。本当によろしくお願いします。 次に、リプロダクティブライツ・アンド・ヘルスの問題についてお聞きをいたします。 緊急避妊薬について、この委員会でもお聞きをしております。
今日ちょっと時間がなくなったので余りあれですが、生き残った県民は、終戦後いち早く、悲惨極まる激戦地となった糸満市や八重瀬町など南部地域から戦没者の収骨を進め、魂魄之塔を始め慰霊塔を次々建立し、戦没者の霊を弔ってきた。しかし、いまだ完全に収骨は終わっておらず、最近も十骨出ております。戦後七十六年が経過した今でも戦没者の収骨が行われている。
これは、沖縄の中ではこれは全部で百七十七か所あり、これらのうち、糸満市は十五か所、八重瀬町は二十三か所です。それで、戦跡国定公園になっておりますが、公園内に十二か所あるということです。これだけ、これは七十五年前の米軍記録の中の情報ですが、遺骨があると分かっていて、なぜこれ土砂に使うって政府は申請するんですか。
沖縄防衛局が南部指定したことにより、ふだん我々が遺骨収集をしている糸満や八重瀬の緑地帯でも採石工事が行われるのではないかと危惧していたところ、まさに的中する事態が起きてしまった。場所は、沖縄戦遺族にとって祈りの聖地と言うべき魂魄之塔のすぐ西側であって、現に我々が遺骨を掘り出しているさなかの緑地の現場が伐採され、採石場となってしまったのである。
糸満市―八重瀬町のこの一帯は、一九四五年、沖縄戦において六月以降に戦場になった激戦地です。この前回お配りしましたパネルの写真は、(資料提示)違法な採掘現場がありますが、そのすぐ隣接して沖縄戦戦没者三万五千柱を埋葬した魂魄之塔や、あるいは九都道県の慰霊塔、慰霊地区が隣接しておるところで、今もまだ沖縄戦の犠牲者の遺骨が多く眠っている場所です。
○伊波洋一君 決まっていないにもかかわらず、前回はゼロだった南部ですね、糸満と八重瀬の地区から三千百五十九万立方メートルという膨大なその採掘可能性をちゃんと示して皆さんは申請しているんですよ。 そういうことならば、未確定な土砂に関する図書は撤回して、確定後に土砂の部分のみ変更申請を出し直せばいいのではないでしょうか。今の設計変更はあくまでも維持する考えですか。
この地域では、現在も沖縄県内各地で戦没者の御遺骨の収集が行われており、二月末から三月初めにかけて糸満市で八体の御遺骨が収集されました。このうち二体は子供のものではないかと推測されています。防衛省が使用する土砂を採取する糸満市と八重瀬町の区域は、沖縄戦当時に多くの住民や軍人が逃げ込んだガマやその跡地が含まれており、そこには御遺骨があることが前提になります。
厚生労働省から沖縄県を通じて沖縄戦没者遺骨収集情報センターに提供した遺骨収集につながる可能性のある情報についての箇所数は全部で百七十七か所あり、これらのうち糸満市は十五か所、八重瀬町は二十三か所であります。また、これらのうち沖縄戦跡国定公園内の箇所数は、糸満市は十か所、八重瀬町は二か所であります。
糸満市の米須で新たに開発届を出している予定業者は、実績を残せば可能性が出てくると、こういうふうに述べて、埋立事業への参入を視野に入れているということを地元紙に語っているんですね。この業者は、この表土の剥離に重機を使用した際に遺骨が損傷する可能性について聞かれて、多少あると思うが表土を搬出するわけではないとも述べているんですね、地元紙で。 これね、多少でもあってはならないんですよ。
具志堅さんは、昨年九月から、糸満市の米須でいまだ手付かずのガマが見付かる、そして通う中で地中から砲弾の破片や遺骨を発見したと言われております。もし業者が気付かずに採掘すれば御遺骨はもう粉々になると、こういうことを語っておられます。別のボランティアの話では、山野での御遺骨の発見や収集は困難を極めると。
今やるべきは、もちろん辺野古に使うと決まったわけじゃないと言っておりますが、辺野古の候補地になっているんですよ、総理、糸満、南部は。七割ですよ、そこから。七割の土砂が辺野古に使うという候補になっているわけですから、これをやめて遺骨収集に全力を挙げるというのを国がやるべきことだと思います。
先月も、具志堅さんの案内で糸満市のガマを見てきました。日本軍兵士の衣服のボタンや靴底、下顎の骨、大腿骨などが確認することができました。この地域には今もこうした場所が数多く残っています。
岩ズリの七割は糸満ですよ。候補地に挙げておきながら、まだ決まっていませんという、こんな不誠実な答弁がありますか。もしそうであれば、やめようじゃないですか、今からでも。南部地域、全部外してくださいよ。もちろん辺野古も工事はやめるべきですけれども。 ここはこことして、次の議論に行きたいと思います。
ところが、県内の調達可能量の七割を占めるのは、沖縄戦の激戦地である沖縄本島南部の糸満市と八重瀬町です。戦後七十五年を経た今なお、戦没者の遺骨が発見され、遺族のもとに送り届ける活動が続けられている地域でもあります。戦没者の血がしみ込んだ土砂を米軍基地の建設に使うのかという怒りの声が広がっています。 なぜそういう地域を土砂の採取場所に挙げたんですか。
そのうちの七割を占めるのが、沖縄戦の激戦地である本島南部の糸満市と八重瀬町。戦後七十五年を経た今なお戦没者の遺骨が発見され、遺族の元に送り届ける活動が続けられている地域であります。沖縄戦遺骨収集ボランティア、ガマフヤーの具志堅隆松代表は、戦争で亡くなった人の遺骨を岩ズリと一緒に軍事基地の埋立てに使うなど戦没者への冒涜だと、厳しい批判の声を上げています。総理はこの声をどう受け止めるのですか。
皆さんの調査では、糸満市にある鉱山も候補地に挙がっている。それさえ説明しようとしない。沖縄県は、鉱山の所在地を市町村名で記載することを求めています。 そもそも、沖縄県の埋立承認には留意事項が付されておりますが、添付図書の変更を行う場合は、どのような手続、これを踏むことが求められておりますか。
二〇一四年に防衛省が委託調査をしたときには、本部、国頭両地区に加えて、糸満市が加わっていました。南部地区というのは糸満市にある鉱山のことを指しているんですか。
転居前の沖縄県糸満市から千葉県野田市にDVがある事実を引き継いでいましたが、野田市においてはその情報を児童相談所や警察などで構成される要保護児童対策地域協議会に伝えられなかったことが報道されています。 児童虐待が疑われると同時にDVが行われているケースは、父親による児童虐待に対して母親による保護が期待できず、児童にとっては極めて深刻な状況になってしまいます。
そして、ことしの一月、新たに、沖縄の糸満市から千葉県の野田市にまさに引っ越しをして、同じようなケース、栗原心愛ちゃんの虐待死の案件が、再び悲劇が起こりました。 もし早く議論をしてもらえていれば、守れた命かもしれません。ここに私たち一人一人が責任を感じて、問題に対して速やかに議論をし、具体的な解決策を示していかなければならない。子供の命を守れない社会に未来はないと思います。
野田市の事案につきましての具体的な問題点や課題でございますけれども、現在、千葉県、野田市、沖縄県、糸満市、それぞれの自治体におきまして検証が行われておりまして、この検証を通じまして事実関係を明らかにしていくことが必要だと考えております。 その上で、本年二月に、厚生労働省の専門委員会、これは虐待の検証を行う専門委員会でございますけれども、専門委員会において関係自治体のヒアリングを行いました。
野田の事件では糸満市から野田市に転居していますけれども、この時点で、DVの相談があったことはちゃんと糸満市から野田市には引き継がれてはいました。ただ、要保護児童対策地域協議会に伝えていなかったために、児相や警察とそのことが共有されていなかったということであります。
まず、野田市の事件では、二〇一七年の七月六日、引っ越す前に住んでいた沖縄県の糸満市が、DVに関する相談を親族から受けていたことがわかっております。心愛さんの母親は、夫の暴力を受け怖い、娘も恫喝されていて暴力を受けるのではと不安、こういうふうに親族に訴えていたということであります。
例えば、野田の事件でも、糸満市から野田市にDVの話というのはちゃんと引き継がれていたんですけれども、要対協の場では共有できなかったということで、児相だとか警察には共有されていなかったということなんです。 やはり、要対協をもっとちゃんとしていくというのが私は一つのポイントだというふうに思うんです。
その中で、沖縄西海岸道路というものを糸満市から読谷村まで計画をして、昨年、浦添市でも開通はしていただいております。これが今、暫定片側一車線、二車線通行でありまして、この浦添北道路の二期線工事の早期着工というのは非常に地元では望まれているところであります。 私も、地元で暮らしていて、この道路の整備というのは非常に有益であります。
最初に妻へのDVと児童への虐待の疑いが行政、学校、そして児童相談所に届けられたのは、平成二十九年七月、沖縄県糸満市で児童が暮らしていたときです。糸満市と児童の父親が家庭訪問を二度にわたり約束いたしますが、直前に父親の都合で延期をされています。そして、翌月には、父親と当該死亡した児童は、千葉県野田市に転居いたしました。児童はこうして転校することになったわけであります。
この千葉県野田市で発生した虐待死事件も、発端はもともと、糸満市で虐待そしてDVの疑いがあるということで、首長部局、社会福祉部局が対応し、児童相談所も対応した。しかし、その対応した後、今度は野田市に転居する。そして学校で、お父さんから殴られている等々の虐待がアンケートで発覚した。すると、今度は学校を転校していく。まさに、先ほど幼児教育現場の方々が言ったことと似たようなケースでありますけれども。
だからこそ、市町村の窓口に、例えばです、今大臣がおっしゃった、婦人相談員、家庭相談員と申し上げてもいいです、そういう人を窓口に配置することによって、違う御相談で来られても、あっ、何かちょっと、そのような懸念があるかも、実は心愛ちゃんのケースがそうだったと思うんです、糸満市の。でも、そこの最前線には婦人相談員はおられなかった。
なぜ糸満市の関係機関は背後におけるDVに介入できなかったのか、なぜ子供が命がけで書いたアンケートが加害者の手に渡ったのか、なぜ柏児相は一時保護を解いてしまったのか、なぜ柏児相はDVとわかっていて介入や避難ではなく家に戻したのか、なぜDV被害者である母親が逮捕されたのか、なぜマスコミは被害者である母親を子供を守れなかったひどい母親と批判するのか、なぜ社会は加害者である父親より母親を非難するのか、DVの
○石井国務大臣 沖縄西海岸道路は、西海岸地域の交通渋滞の緩和、物流の効率化及び観光振興などを目的といたしまして、読谷村から糸満市に至る約五十キロの地域高規格道路であり、現在までに約十五キロが開通をし、八・二キロが事業中であります。 事業中である那覇北道路につきましては、通過する那覇港の管理者と移転物件等の協議を行っております。
今回の野田市の事件で、立憲民主党としてもヒアリングを重ねていますが、一カ月たっておりますが、残念ながら、この間、厚生労働省として、この事件に関して、教育委員会や警察、糸満市、野田市、千葉県児童相談所の情報を共有ができていないということを改めて指摘させていただきます。